トウカイテイオー、四度折れて、もう一度立った帝王

1993年の有馬記念。直線に入って、前にはビワハヤヒデがいた。

トウカイテイオー(2000年撮影)
トウカイテイオー(2000年撮影) / Goki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

トウカイテイオーは、その後ろにいた。一年ぶりの出走である。前走から364日。普通の馬なら、レースの形を取り戻すだけで精一杯のはずだ。長い空白のあとに、強い相手の前で、勝ち負けまで持ち込めるはずがない——そう思いながら、多くの人が見ていた。

それでも、テイオーは一完歩ずつ差を詰めた。止まっていた時間を、ひとつずつ前へ押し戻すような脚だった。ゴール前、ビワハヤヒデをとらえ、わずかに前に出る。スタンドが、悲鳴のような歓声になった。

この馬は、強かったから記憶されているのではない。折れて、戻ってきたから記憶されている。四度の骨折と、そのたびの復活。その最後の一行が、この有馬記念だった。

12戦9勝
無敗の二冠
ジャパンカップ
有馬記念(364日ぶりの復活)

トウカイテイオーの記録

皇帝の子として、無敗で駆けた

父は、無敗の三冠馬シンボリルドルフ。「皇帝」と呼ばれた馬の、初年度産駒として生まれた。それだけで、トウカイテイオーには最初から大きな物語が乗っていた。

走りも、その期待にふさわしかった。脚さばきが美しく、四本の脚をきれいに伸ばして走る。見た目の華やかさと強さが一致していた。1991年、皐月賞と日本ダービーを無敗で勝つ。父は無敗の三冠。その子が、無敗の二冠。親子で三冠路線を制していく道が、はっきり見えた。

ところが、ダービーのあとに骨折が判明する。菊花賞へは向かえなかった。無敗のまま三冠へ、という夢のいちばん美しい続きが、最初の骨折で断たれた。きらびやかな登場の裏で、この馬の本当のテーマである「折れること」が、もう始まっていた。

美しさという武器

トウカイテイオーを語るとき、強さと同じくらい繰り返されるのが、その走りの美しさだ。

前脚を大きく前へ伸ばす、優雅でしなやかなフォーム。脚さばきにむだがなく、走る姿そのものが絵になった。速い馬、強い馬は数多くいても、「見ていてうっとりする」と言われる馬はそういない。トウカイテイオーは、記録だけでなく、走る姿でファンの心をつかんだ。父シンボリルドルフが「皇帝」と呼ばれ、その威厳で記憶されたのに対し、テイオーは華やかさと優美さで記憶された。同じ無敗の二冠でも、親子は少し違う種類の魅力を持っていた。

だからこそ、骨折で何度もその姿が見られなくなるたびに、ファンは余計に渇いた。あの美しい走りを、もう一度見たい。その思いが、復活のたびの歓声を大きくしていった。

メジロマックイーンと、二度目の影

1992年の春。トウカイテイオーは天皇賞・春で、長距離の王者メジロマックイーンと初めてぶつかった。

世代の旗手と、古馬の王者。注目の対決だった。けれど結果は5着。完敗に見えた。そして、レースのあとで分かる——テイオーはまた骨折していた。二度目だった。強い相手に力負けしたのではなく、体が悲鳴を上げながら走っていた。華やかな二冠馬の裏で、骨が何度も時間を奪っていく。

世界を破ったジャパンカップ

それでも、トウカイテイオーは戻ってくる。

1992年のジャパンカップ。岡部幸雄を背に、海外の強豪がそろう東京2400メートルへ立った。かつて父シンボリルドルフの手綱を取った名手が、今度はその子の背にいる。直線、テイオーは世界の馬を差し切った。骨折から戻ってきた馬が、国際レースで頂点に立つ。復活と強さが、いちばん明るい形で重なった一日だった。

だが、続く有馬記念ではゲート直後にアクシデントがあり、11着に大敗する。上がったり、落ちたり。トウカイテイオーの現役は、きれいな右肩上がりではなかった。

一年の空白

1993年、陣営は春の宝塚記念を目標に立て直しを進めた。ところが、そのレースの1週間前、また骨折する。三度目だった。

長い休養に入る。競馬から、テイオーの姿が消えた。一年近く、レースに出られない。ファンの記憶の中で、あの美しい走りは少しずつ過去のものになりかけていた。もう戻れないかもしれない。そう思われても仕方のない時間が、静かに過ぎていった。

364日ぶりの奇跡

復帰の舞台に選ばれたのは、1993年暮れの有馬記念だった。前走からちょうど364日。

主戦の岡部幸雄は、すでにその年の菊花賞馬ビワハヤヒデへの騎乗が決まっていた。そこで手綱を託されたのが、前年も乗っていた田原成貴である。調教師の松元省一は、田原に細かな指示を出さず、馬と騎手に任せたと伝えられる。

レースは、冒頭のとおりだ。一年ぶりとは思えない脚で、テイオーは前を追い、4コーナーでは抜群の手応えになった。直線、ビワハヤヒデに競りかけながら、最後にとらえて差し切る。ゴールの瞬間、馬上の田原成貴は泣いた。

「史上最高の復活劇」と、いまも語られる。何度かのちのアンケートでも、最高の有馬記念として名前が挙がり続ける一戦になった。そして、これがトウカイテイオーのラストランになった。四度折れた馬が、最後に最も美しい勝利で競馬を去った。

阪神競馬場のトウカイテイオー追悼記帳台
阪神競馬場のトウカイテイオー追悼記帳台 / Ogiyoshisan / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

折れること、戻ること

トウカイテイオーの12戦9勝という数字は、超一流の馬としては出走が少ない。骨折のたびに、レースに出られない時間が積み上がったからだ。

けれど、ファンが愛したのは勝率ではない。折れても、また立ったこと。そのたびに、あの美しい走りを取り戻してみせたこと。無敗の二冠という眩しい登場と、四度の骨折という暗い影。その振れ幅の大きさごと、この馬は記憶された。強い馬はほかにもいる。でも、戻ってくる回数でこれほど語られる馬は、そういない。

2013年8月30日、トウカイテイオーは世を去った。阪神競馬場には追悼の記帳台が置かれ、多くのファンが列をつくった。死んでなお人が集まる馬の一頭であり続けている。

語り継がれる帝王

トウカイテイオーの物語は、現役を見ていない世代にも届き続けている。

「あなたが選ぶ最高の有馬記念」のようなアンケートで、1993年の復活劇はいまも上位に名前が挙がる。リアルタイムで見た人は涙を語り、見ていない人はその語りを聞いて惹かれていく。近年は、ゲーム・アニメ『ウマ娘』にも登場したことで、テイオーという名前と、四度折れて立ったその物語に、あらためて多くの人が触れるようになった。

名馬の記憶は、勝った数だけで決まるわけではない。何を背負い、どこから戻ってきたか。トウカイテイオーは、その「戻ってきた物語」の強さで、世代を越えて語り継がれている。

そして、父へ

種牡馬としてのトウカイテイオーは、数で押す大種牡馬ではなかった。それでも産駒を送り出し、その血は細い線のまま後世へつながっていった。

太く塗り替えるのではなく、折れても戻るという記憶にふさわしく、細く、しかし途切れずに残る。種牡馬としての歩みと産駒の詳しい話は、別の一篇にゆずりたい。

(→ 種牡馬としての歩み・産駒データは「種牡馬物語 トウカイテイオー」へ)

受け継がれたもの

トウカイテイオーは、勝利数よりも、戻ってきた回数で記憶される。

無敗の二冠で華やかに現れ、骨折で三冠の夢を断たれ、ジャパンカップで世界を破り、また折れて一年消え、最後に364日ぶりの有馬記念で勝った。整った名馬像とは違う。けれど、だからこそ人の胸に残る。

折れても、もう一度立つ。その一歩を、この馬は競走馬人生のいちばん最後に、いちばん美しい形で見せた。皇帝の子は、勝ち続けた帝王としてではなく、戻ってきた帝王として記憶されている。

参考資料・画像クレジット

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