キタサンブラック、三五〇万の馬が祭りの真ん中へ

東京競馬場のスタンドから、よく通る歌声が聞こえる。「祭りだ祭りだ」。北島三郎が、自分の馬の勝利を「まつり」で迎えている。

2015年菊花賞のキタサンブラック
2015年菊花賞のキタサンブラック / Ogiyoshisan / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
種牡馬物語 この馬の種牡馬としての歩み・イクイノックスら産駒データはこちら キタサンブラックの父としての歩みを読む

馬の名はキタサンブラック。北島さんの馬、という呼び名がそのまま登録名になった一頭だ。けれど、歌声の派手さとは裏腹に、走りそのものはいつも静かだった。前へ出て、流れを作り、最後まで止まらない。鋭い末脚で景色を一変させるタイプではない。先頭で粘り、追ってくる相手に「まだ脚があるぞ」と見せ続ける。地味だが、ほどけない。

この馬は、三五〇万円で取り引きされた。名牝系でも、流行りの血でもない。それが、GIを7つ勝ち、獲得賞金で歴代の頂点に立つ。祭りの真ん中にいたのは、たたき上げの船だった。

20戦12勝
GI 7勝(史上最多タイ)
天皇賞春秋制覇/春連覇
菊花賞・有馬記念

キタサンブラックの記録

三五〇万円の馬

キタサンブラックの血統は、華やかではない。

父ブラックタイドは、ディープインパクトの全兄にあたる。同じ父サンデーサイレンス、同じ母ウインドインハーヘアから生まれながら、弟が無敗の三冠馬になったのに対し、兄は故障もあって現役では大成しなかった。種牡馬としても、長く地味な存在だった。母シュガーハートの父は、短距離王サクラバクシンオー。長い距離を勝つ馬の配合表には、ふつう書かれない名前だ。

その馬を、北島三郎が三五〇万円で手にした。やがて十八億円以上を稼ぐ馬の出発点が、それだった。名前は「キタサン(北島さん)ブラック」。演歌の大スターの名を背負いながら、血の上では成り上がりの一頭だった。

のちに北島自身が「これほど勝つ馬になるとは」と振り返ったように、買った当人すら、この馬がどこまで行くかは分かっていなかった。高い馬が走るとは限らず、安い馬が走らないとも限らない。競馬のいちばん面白いところを、キタサンブラックは出発点からそのまま体現していた。三五〇万円という値札は、走るほどに過去の数字になっていった。

菊花賞で、長い道が開いた

デビューは派手ではなかった。新馬戦から少しずつ勝ち上がり、スプリングステークスで重賞を初めて勝つ。皐月賞では割って入れず、春のクラシックの主役はドゥラメンテのものだった。

潮目が変わったのは、距離が延びてからだ。2015年の菊花賞。3000メートルという長い舞台で、キタサンブラックは前で流れに乗り、苦しくなるところで粘り込んだ。瞬発力で斬る馬ではない。簡単に止まらない馬だった。短距離の血を引きながら、長距離のGIで一冠目をつかむ。血統表の常識を、自分の走りで上書きしていく。

武豊と組んで、王道を渡り歩いた

古馬になると、手綱に武豊が座った。前へ出る。ペースを作る。相手が来れば、もう一度踏む。言葉にすると単純なこの競馬を、二人はGIの大舞台で何度も成立させた。

2016年は天皇賞春とジャパンカップを勝った。一方で、暮れの有馬記念では、3歳のサトノダイヤモンドにゴール前でクビ差差され、2着に敗れている。先頭で粘りながら、最後の最後で世代の良血馬にとらえられた。強い馬が、強い馬に負けた一戦だった。

2017年、キタサンブラックは充実の極みに入る。新設されたばかりの大阪杯を勝ち、天皇賞春を連覇した。前で運び、止まらない。同じ形を、相手や馬場を変えながら、何度でも再現した。

2017年ジャパンカップのキタサンブラック
2017年ジャパンカップのキタサンブラック / nakashi / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons

歌う馬主、北島三郎

キタサンブラックを語るとき、馬主・北島三郎の存在は外せない。

馬名のキタサンは「北島さん」から来ている。登録上の馬主は大野商事だが、実質のオーナーは演歌の大スター、北島三郎その人だった。そして、この馬が大きなレースを勝つたびに、競馬場では不思議な光景が生まれた。表彰式のステージで、オーナー自身がマイクを握り、代表曲「まつり」のサビを歌うのだ。菊花賞でも、天皇賞でも、ジャパンカップでも。勝てば「まつり」。それが、キタサンブラックの勝利の合図になっていった。

馬主というのは、ふつう表舞台のいちばん端にいる人だ。それが、満員の競馬場で歌い、ファンと一緒に盛り上がる。勝てば三五〇万円の馬が「まつり」で迎えられる。スターホースと国民的歌手の組み合わせは、競馬を見ない人にまで話題を運んだ。強い馬は数あれど、勝利のたびに歌が流れる馬は、後にも先もそういない。

武豊という相棒

古馬になってからのキタサンブラックの手綱を握り続けたのは、武豊だった。

キャリアの後半に差しかかっていた天才が、前で運んで止まらないこの馬に、もう一度大きな時代を見つけた。派手な追い込みではなく、先手を取り、ペースを支配し、相手に脚を使わせる。武豊の経験と、キタサンブラックの素直な前向きさが噛み合うと、GIの大舞台でも危なげがなかった。難しいことを、毎回当たり前のようにやってのける。それは、馬と騎手のどちらが欠けても成り立たなかった。

泥の天皇賞秋

2017年の天皇賞秋は、キタサンブラックの強さがいちばん分かりにくい形で出たレースかもしれない。

馬場は不良にまで悪化していた。馬が走ると水しぶきが飛ぶ。そんなコンディションで、しかもスタートで立ち遅れる。前で運んでこそのキタサンブラックが、出負けした。普通なら、ここで終わってもおかしくない。

けれど、そこから巻き返した。泥をかぶりながら押し上げ、最後は抜け出して勝つ。前年に春を勝ち、この秋で天皇賞の春秋制覇を達成した。きれいに運べなかった日に、いちばんしぶとさが出た。前へ行く馬の強さは、前へ行けなかったときに本当に試される。それを証明した一戦だった。

最後の祭り

引退レースは、2017年の有馬記念と決められていた。

武豊は迷いなく先手を取りに行った。スタートからゴールまで、キタサンブラックの独り舞台。後ろを離して、止まらないまま帰ってきた。これがGI7勝目。史上最多タイの記録に並び、たたき上げの船は最高の形で港に着いた。

翌2018年1月7日、京都競馬場で引退式が行われた。GI7勝にちなんで、ゼッケンは7番。武豊を背に、4コーナーから直線を駆け抜ける。そしてスタンドには、北島三郎の「まつり」が響いた。現役中、菊花賞でも、天皇賞でも、ジャパンカップでも、勝つたびにオーナー自身が競馬場でサビを歌ってきた。その歌が、最後にもう一度、満員のファンの前で鳴った。

名前と、強さの距離

キタサンブラックは、賑やかな名前の馬だった。演歌のスターがオーナーで、勝てば「まつり」が流れる。話題に事欠かない。けれど、走りそのものは、その騒がしさといつも逆の場所にあった。

毎回のように前へ行き、簡単に止まらず、最後まで踏み続ける。出負けしても巻き返す。良血に差されても、翌年さらに強くなって戻ってくる。派手な名前の内側で、地道で骨太な競馬を積み上げた。三五〇万円という出発点も、短距離の血も、ぜんぶ走って黙らせた。

そして、父へ

引退後、キタサンブラックは種牡馬になった。

そして初年度産駒から、イクイノックスが現れる。天皇賞を連覇し、海外まで制し、世界の評価を塗り替えた怪物だ。地味だった父系は、息子の走りで一気に最前線へ戻った。祭りのあとに残ったのは、人気ではなく血の底力だった。

種牡馬としての歩みと産駒の詳しい話は、別の一篇にゆずりたい。ここでは、前で止まらなかった現役時代の芯が、父になっても消えていないこと、それだけを書いておく。

(→ 種牡馬としての歩み・イクイノックスら産駒データは「種牡馬物語 キタサンブラック」へ)

受け継がれたもの

キタサンブラックは、強さを派手に見せびらかす馬ではなかった。

菊花賞では長い距離を粘り込んだ。天皇賞は春も秋も勝った。泥の中では出負けから巻き返した。有馬記念では先頭から帰ってきた。どれも、一瞬の切れ味で景色を変える勝ち方ではない。前へ出て、止まらない。同じことを、何度も、いちばん大きな舞台で繰り返した。

三五〇万円の馬が、十八億円を稼ぐ。地味な血が、史上最多タイのGI7勝にのぼる。祭りの歌の外側で、走りはいつも静かに骨太だった。その芯が、イクイノックスで世界へ伸びた。

参考資料・画像クレジット

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