オグリキャップ、地方から来た芦毛が競馬場を変えた

1990年12月23日、中山競馬場に17万7千人が入った。

優駿スタリオンステーションで繋養されていた時代のオグリキャップ
オグリキャップ(優駿スタリオンステーション) / Hahifuheho / CC0 1.0 / Wikimedia Commons

競馬場の入場記録が、この日ひとつ書き換わる。

有馬記念。芦毛のオグリキャップは、秋の二戦を大敗していた。天皇賞・秋も、ジャパンカップも、見せ場をつくれないまま終わり、「燃え尽きた」という言葉があちこちで使われていた。単勝は一番人気ではない。それでもスタンドは、白い馬体を探していた。

直線、内から抜け出したオグリが、最後まで先頭を守る。ゴール板を過ぎた瞬間、名前が声になって場内を回った。「オグリ、オグリ」。馬の名前でコールが起きたのは、それまでの競馬にはなかったことだった。

地方の笠松から来た一頭に、これだけの人が集まる。強い馬なら、ほかにもいた。だがオグリキャップは、強さとは別のところで、競馬場を変えてしまった馬だった。

32戦22勝
有馬記念2勝(1988・1990)
安田記念・マイルチャンピオンシップ
1990年度 年度代表馬

オグリキャップの記録

笠松から来た馬

オグリキャップの現役は、中央競馬場ではなく、岐阜の笠松から始まった。

血統に華やかさはない。父ダンシングキャップは、大種牡馬と呼ばれた馬ではない。母ホワイトナルビー、母父シルバーシャーク。中央のセリで高値がつくような配合ではなかった。デビューの舞台も、東京や京都ではなく、地方競馬の笠松だった。調教師は鷲見昌勇。ここでオグリは走り始める。

そして、勝った。笠松での成績は12戦10勝。地方のレースを次々に勝ち、名前が中央にも届くようになる。地方から中央へ移るのは、当時は今より重い決断だった。相手の格が変わり、輸送があり、環境が変わる。地方で無敗に近い馬が、中央でも通用するとは限らない。

それでもオグリは中央へ移った。栗東の瀬戸口勉厩舎へ。ここから、この馬の物語は競馬ファンだけのものではなくなっていく。

中央で、いきなり止まらなかった

普通なら、地方から来た馬は中央の壁にぶつかる。オグリはぶつからなかった。

中央初戦のペガサスステークスを勝つと、そのまま重賞を勝ち続けた。中央に移ってからの重賞六連勝。地方出身という前置きが、勝つたびに小さくなっていく。強い馬が、たまたま笠松から来たのか。それとも、笠松から来た馬が中央を飲み込んだのか。見る側の受け止め方が、少しずつ後者へ傾いていった。

芦毛の馬体は、遠くからでもよく見えた。芦毛は年を追うごとに白くなる。走る馬群の中で、白い一頭は目印になる。競馬をよく知らない人でも、「あの白い馬」と指させる。オグリの人気には、この見つけやすさも効いていた。強い、そして目立つ。ブームの中心になる条件を、この馬は毛色でも満たしていた。

芦毛の怪物対決――タマモクロス

1988年の秋、もう一頭の芦毛が待っていた。タマモクロスである。

タマモクロスはその年、天皇賞・春から連勝を重ね、古馬の頂点に立っていた。片や、地方から来て中央でも負けなしのオグリキャップ。芦毛が二頭、頂上でぶつかる。天皇賞・秋の東京には、この対決を見ようと十二万人が詰めかけたと伝えられる。

東京競馬場フジビュースタンド
東京競馬場フジビュースタンド / Goki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

先に動いたのはタマモクロスだった。前で押し切ろうとする先輩を、オグリが直線で追う。最後は二頭の追い比べになったが、差は縮まらない。タマモクロスが勝ち、オグリは二着。中央で初めての黒星が、初めてのGIの舞台でついた。

答えは年末に持ち越された。有馬記念。ここでオグリ陣営は、それまで乗ってきた河内洋に代えて、岡部幸雄に手綱を託す。強い馬の乗り替わりは、当時から議論を呼ぶ判断だった。岡部を背に、オグリは今度は前で運び、追い込むタマモクロスをきわどく退ける。半馬身。芦毛対決は、一勝一敗のまま暮れていった。

同じ毛色の二頭が、秋から冬にかけて日本中の視線を集める。競馬の外にいた人まで、この対決の名前を知っていた。オグリキャップは、そういう場所まで来ていた。

なぜ、人が押し寄せたのか

強い馬なら、それまでもいた。ではなぜ、オグリキャップにこれほど人が集まったのか。

ひとつは、出自だった。血統も、デビューの舞台も地味な、地方から来た馬。それが中央のエリートを負かしていく。見ている側は、そこに自分を重ねられた。生まれや肩書きではなく、走って結果を出す。バブルへ向かう時代の空気の中で、この筋書きは強かった。

もうひとつは、この馬をめぐる人の入れ替わりだった。中央で花を咲かせた河内洋。芦毛対決を制した岡部幸雄。GIを勝った南井克巳。晩年に手綱をとった増沢末夫。そして最後の武豊。一頭の馬に、これだけ多くの騎手が乗り、そのたびに乗り替わりが話題になった。馬の物語に、騎手たちの物語が何本も編み込まれていった。

ファンは、白い馬体を追いかけた。勝っても負けても、次はどこで走るのかを知りたがった。競馬新聞やスポーツ紙の一面に、一頭の馬の名前が何度も載る。ハイセイコー以来と言われた競馬ブームの、まん中にオグリはいた。

平成三強

1989年、時代が平成に変わると、オグリの前に二頭の強敵が並んだ。スーパークリークと、イナリワン。のちに「平成三強」と呼ばれる三頭である。

秋の天皇賞、区切りの第100回。三頭が初めて同じレースに揃った。勝ったのはスーパークリーク。鞍上は、まだ若い武豊だった。オグリは二着に敗れる。年末の有馬記念では、春の天皇賞を勝っていたイナリワンが抜け出し、オグリは先頭に立ちながらも勝ち切れなかった。

三頭は、勝ったり負けたりを繰り返した。誰かが抜けて強いのではなく、三頭が互いの前をふさぎ合う。だからこそ一戦ごとに人が集まった。オグリキャップは、この三つ巴の中心にいながら、まだ大きな決着を自分の手にできずにいた。

連闘の秋、世界レコードの二着

1989年の秋、オグリキャップは二週続けてGIを走った。今ではまず見られないローテーションである。

まずマイルチャンピオンシップ。京都のマイル戦で、オグリはバンブーメモリーとの追い比べを制して差し切った。南井克巳とのGI。距離を一気に短くしても、この馬は答えを出した。

その翌週、中一週でジャパンカップへ向かう。連闘での挑戦だった。相手はニュージーランドから来たホーリックス。逃げるホーリックスをオグリが追い、二頭で後続を引き離す。捕まえきれず、首の差で二着。だが、このとき記録された勝ち時計は二分二十二秒二。芝二千四百メートルの、当時の世界レコードだった。

負けはした。しかし、地方から来た芦毛が、世界の時計の隣に名前を並べた。この二着は、勝利以上に語り継がれることになる。

燃え尽きた、と言われて

1990年、オグリキャップの体には疲れが見え始めていた。

春の安田記念。ここで初めて手綱をとったのが、二十一歳の武豊だった。若い天才と芦毛のスター。新しいコンビは、東京のマイルを完勝する。宝塚記念ではオサイチジョージの二着に敗れたが、まだ力は残っているように見えた。

秋が、重かった。天皇賞・秋は六着。続くジャパンカップは十一着。かつて世界レコードの隣にいた馬が、見せ場もなく敗れていく。「燃え尽きた怪物」。そんな言葉が新聞に並んだ。ラストランと決まっていた有馬記念を前に、多くの人がもう終わったと感じていた。オグリキャップの現役は、静かに閉じるように見えた。

引退の花道どころか、負けを重ねての引退レース。だがこの下り坂こそが、最後の一戦をあれほどのものにした。

ラストラン、オグリコール

1990年の有馬記念。手綱は再び武豊にゆだねられた。

中山競馬場
中山競馬場 / 江戸村のとくぞう / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

秋に大敗した馬である。単勝の一番人気ではない。それでも中山には十七万を超える人が集まり、その多くが白い馬体を目で追っていた。武豊はのちに、この馬の指示への応え方を「ずるい」とまで評したと伝えられる。それほど、レース勘の残った背中だった。

直線、オグリが内から抜け出す。秋の二戦とは、脚色がまるで違った。前を守り、最後まで止まらない。ゴールの瞬間、スタンドから名前が湧き上がった。「オグリ、オグリ」。馬名のコールが競馬場を包む。二十一歳の武豊は、この勝利で史上最年少の有馬記念制覇を果たした。

負け続けた末に、最後だけ勝つ。筋書きとしては出来すぎている。だが、それを実際にやってのけた馬の姿を、17万7千人が同じ場所で見た。この日の中山の入場者数は、長く破られない記録になった。

芦毛のその後

引退後、オグリキャップは北海道で種牡馬になった。

血統の地味さは、繁殖の世界では正直に響いた。中央の大レースを勝つ産駒は出ず、2007年に種牡馬を引退する。その後は功労馬として、優駿スタリオンステーションで余生を送った。競走馬としての栄光と、種牡馬としての静けさ。その落差もまた、この馬の実像だった。

2010年7月3日、放牧地での骨折のため、オグリキャップはこの世を去った。二十五歳。訃報が伝わると、笠松の競馬場には献花に人が並び、記帳が置かれた。地方から来た一頭のために、これほどの人が手を合わせる。現役を退いて二十年が経っても、白い馬体を覚えている人は多かった。

近年は、地方から中央へ駆け上がったこの馬を主人公にした作品を通じて、走った時代を知らない世代にも名前が届いている。史実のオグリキャップは、その入口の先で待っている。

受け継がれたもの

オグリキャップの記録を並べると、通算三十二戦二十二勝、GI四勝、年度代表馬。数字だけなら、時代の頂点に立った馬のひとつに見える。

けれど、この馬が変えたのは順位表ではなかった。地方から来た芦毛が勝ち続けたこと。二頭の芦毛が秋を奪い合ったこと。連闘で世界レコードの隣に立ったこと。そして、負けを重ねた末のラストランで、17万7千人が同じ名前を叫んだこと。競馬を見ていなかった人までが、白い馬体を探すようになった。オグリキャップは、競馬を「見る人のもの」に広げた馬だった。

冒頭のオグリコールは、強さへの拍手ではない。ここまで一緒に走ってきた、という感覚への拍手だった。地方の笠松から中央の大観衆まで、この馬はずっと、人の目の届くところを走っていた。

白い馬体は、もう競馬場にはいない。それでも、あの日の名前の響きを覚えている人がいるかぎり、オグリキャップは競馬ブームの記憶の中を、まだ先頭で走り続けている。

参考資料・画像クレジット

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