ウオッカ、64年ぶりのダービー馬が牡馬の中で走り続けた4年

64年ぶりに牝馬でダービーを勝った馬が、そのあと1年勝てなかった。牡馬の一線から降りずに走り続け、5歳の秋に東京のGIを勝ち切った。

2007年5月27日・東京競馬場(第74回東京優駿)のウオッカ
2007年5月27日・東京競馬場(第74回東京優駿)のウオッカ / Goki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

2008年11月2日、東京競馬場。天皇賞(秋)。

ゴール板を過ぎても、掲示板に着順が出なかった。1分が過ぎ、5分が過ぎ、それでも出なかった。スタンドの人たちは、ターフビジョンが繰り返す最後の数完歩の映像を、そのたびに見直していた。内にいる白い流星の栗毛と、外から並びかけた鹿毛。どちらの鼻先が前にあるのか、何度見ても決まらない。

着順が確定したのは、13分後だった。

1着ウオッカ、2着ダイワスカーレット。着差はハナ、2センチ。走破時計は1分57秒2で、それまでのレースレコードとコースレコードを0.8秒縮めていた。

この2頭は、2007年の春から数えて5回目の顔合わせだった。ここまでの4回は、3勝1敗でダイワスカーレットが上回っていた。桜花賞も、秋華賞も、前にいたのは白い流星のほうだった。

そして、13分かかってようやく出た答えは、2センチだけウオッカだった。

この馬は、1年半前に64年ぶりのことをやっている。そして、そのあと1年、1度も勝てなかった。話はそこから始まる。

26戦10勝
GI 7勝
東京優駿(2007・牝馬として64年ぶり)
2008年・2009年 JRA賞年度代表馬

ウオッカの記録

ギムレットより強い酒を

父はタニノギムレット。2002年の東京優駿を武豊で勝った馬である。着差は0.2馬身。8戦5勝でターフを去り、種牡馬になった。生産はカントリー牧場、馬主は谷水雄三。父も娘も、同じ牧場で生まれ、同じ勝負服で走っている。

母はタニノシスター、母の父はルション。血統表の見た目は、当時の流行から少し外れたところにある。

馬名は酒から取られた。ギムレットはジンをベースにしたカクテルで、当初は「ジン」という案が出たものの、語呂の理由で見送られた。代わりに選ばれたのがウオッカである。ギムレットより度数が高い酒、つまり「父より強くあってほしい」という意味が込められている。

登録名は「ウォッカ」ではなく「ウオッカ」。小さい「ォ」ではなく、大きい「オ」で登録されている。競馬の馬名は9文字以内・カタカナという決まりの中で付けられ、この表記もそのまま残った。

結果として、この馬は父と同じレースを勝った。父仔での東京優駿制覇は5組目、父と娘という組み合わせでは初めてだった。

2006年、まず1つ勝った

デビューは2006年10月29日、京都の2歳新馬戦。芝1600メートル。鞍上は鮫島克也で、2番人気に応えて勝った。

2戦目の黄菊賞は2着。ここから四位洋文が乗る。

12月3日、阪神ジュベナイルフィリーズ。4番人気だった。2歳牝馬の頂点を決めるこのGIを、ウオッカは勝った。デビュー3戦目でのGI制覇である。

この時点でのウオッカは、素質のある2歳牝馬の1頭だった。同じ世代には、まだ会っていない相手がいた。

桜花賞、1馬身半

2007年、3歳。

2月3日のエルフィンステークス1着、3月3日のチューリップ賞1着。桜花賞へ向かう道筋としては、これ以上ないほど順調に見えた。チューリップ賞では、2着にダイワスカーレットを置いている。

4月8日、阪神競馬場。桜花賞。ウオッカは1番人気に推された。

結果は2着だった。勝ったのはダイワスカーレット。鞍上は安藤勝己。勝ちタイムは1分33秒7で、着差は1馬身半。並びかけることはできても、前に出ることはできなかった。

牝馬クラシックの1冠目を落とした馬が、次にどこへ向かうか。普通なら優駿牝馬(オークス)である。距離が延び、同じ相手ともう1度やれる。

陣営が選んだのは、東京優駿だった。

2007年5月27日、64年ぶり

それまでに日本ダービーを勝った牝馬は、1937年のヒサトモと1943年のクリフジの2頭しかいない。戦後は1頭もいなかった。

5月27日、東京競馬場。18頭立て。ウオッカの単勝は10.5倍、3番人気だった。1番人気ではない。牝馬がダービーで何をできるかについて、多くの人はまだ答えを持っていなかった。

レースでウオッカは後方に構えた。無理に前を取りに行かず、自分の形で運んだ。

直線、大外ではなく、真ん中を選んだ。馬群が横に広がっていく中を、内でも外でもない位置から一気に伸びる。前にいた馬たちが順に後ろへ流れ、坂を上がりきったときには、もう追ってくる馬がいなかった。

2着のアサクサキングスとの差は3馬身。勝ちタイムは2分24秒5。

四位洋文にとって、8年連続10回目のダービー騎乗での初制覇だった。

牝馬として史上3頭目、64年ぶり。戦後初。この日を境に、「牝馬がダービーに出る」という話の重さが変わった。

それから1年、勝てなかった

歴史的な勝利のあと、ウオッカはすぐに勝てなくなる。

6月24日、宝塚記念。1番人気で8着。10月14日、秋華賞。1番人気で3着。勝ったのは、また、ダイワスカーレットだった。11月11日のエリザベス女王杯は出走を取り消し、11月25日のジャパンカップは4着。12月23日の有馬記念は11着に終わった。この有馬記念で、ダイワスカーレットは2着に来ている。

年が明けて2008年。2月23日の京都記念6着。3月29日、ドバイデューティフリーで4着。5月18日、ヴィクトリアマイルは1番人気で2着。

ダービーのあと7戦。1度も勝っていない。

この時期のウオッカについて言われたことは、想像がつく。あのダービーはフロックだったのではないか。牝馬が牡馬と走り続ければ、こうなるのではないか。

事実として、この7戦のうち5戦は牡馬混合のレースだった。牝馬限定のヴィクトリアマイルでも2着に負けている。数字だけを並べれば、擁護しにくい成績である。

それでも陣営は、路線を変えなかった。牝馬限定路線に腰を据えることも、距離を短くして分かりやすく勝ちにいくこともせず、東京の一線級が集まるところへ出し続けた。

安田記念で、戻ってきた

2008年6月8日、東京競馬場。安田記念。芝1600メートル。

鞍上は岩田康誠。ウオッカは2番人気だった。

このレースを、ウオッカは勝った。ダービーからちょうど1年と12日、7戦ぶりの勝利であり、GI3勝目である。

1600メートルという距離は、この馬にとって最初のGIを勝った距離でもあった。2歳の暮れに阪神ジュベナイルフィリーズを勝ってから、1年半かけて、もう1度同じ距離に戻ってきたことになる。

秋は10月12日の毎日王冠で2着。勝ったスーパーホーネットとの差は、アタマだった。

そして、11月2日が来る。

13分間

天皇賞(秋)。東京競馬場、芝2000メートル、17頭。

ウオッカが1番人気で単勝2.7倍、ダイワスカーレットが2番人気で3.6倍。鞍上はウオッカが武豊、ダイワスカーレットが安藤勝己である。

ダイワスカーレットは先頭に立った。この馬は前に行って止まらないことで結果を出してきた馬で、この日も自分の形を取った。ウオッカはその直後、7番手につけた。

直線、ダイワスカーレットが後続を離しにかかる。外からウオッカが並びかける。坂を上がってからの残り200メートル、2頭の馬体はほぼ完全に重なったまま、どちらも下がらなかった。

ゴール板を過ぎ、13分の写真判定が始まる。

1着ウオッカ。2着ダイワスカーレット。2センチ。GIでの決着としては、史上2番目に小さい着差だった。

2008年11月2日・東京競馬場、第138回天皇賞(秋)のゴール前
2008年11月2日・東京競馬場(第138回天皇賞・秋)のゴール前 / kanegen / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons

1分57秒2という時計は、それまでのレコードを0.8秒も削っている。2頭が並んだまま最後まで緩めなかった結果として、コースの記録が書き換わった。

3着はディープスカイ。鞍上の四位洋文は、2007年のダービーをウオッカで、2008年のダービーをこのディープスカイで勝っている。ウオッカを勝たせた騎手が、この日は次の年のダービー馬に乗って、前の2頭を追いかけていた。

この年、ウオッカはJRA賞年度代表馬に選ばれた。

ダイワスカーレットという相手

ウオッカとダイワスカーレットが同じレースに出たのは、生涯で5回である。

チューリップ賞はウオッカ、桜花賞はダイワスカーレット、秋華賞はダイワスカーレット、2007年の有馬記念はダイワスカーレットが2着でウオッカが11着、そして2008年の天皇賞(秋)はウオッカ。通算ではウオッカの2勝、ダイワスカーレットの3勝となる。

数のうえでは、ダイワスカーレットが上回っている。

走り方も対照的だった。ダイワスカーレットは前へ出て、そのまま止まらない。ウオッカは後ろから、直線で真ん中を割ってくる。同じ世代の牝馬2頭が、まったく違う形で強さを示し、そのたびに片方が勝った。

ライバルという言葉は、負けた回数が拮抗しているから成り立つのではない。相手がいなければ、その馬の走り方が何なのかを説明できないときに成り立つ。ウオッカの差し脚は、前で止まらない馬がいたから、その意味がはっきりした。

ダイワスカーレットは2008年の有馬記念を勝ったあと、浅屈腱炎のため2009年2月に競走馬登録を抹消された。通算12戦8勝。勝てなかった4回は、すべて2着である。

天皇賞(秋)の2センチが、この2頭の最後の対戦になった。

5歳の春から秋へ

2009年、ウオッカは5歳になっていた。この年、ウオッカは3つのGIを勝つ。

3月、ドバイでジェベルハッタ5着、ドバイデューティフリー7着。ここまでは前年と同じ流れに見えた。

5月17日、ヴィクトリアマイル。武豊が乗り、1番人気で勝った。前年に2着だったレースである。

6月7日、安田記念。同じく1番人気で勝ち、このレースの連覇を果たした。

10月11日の毎日王冠は2着、11月1日の天皇賞(秋)は3着。連覇はならなかった。この年の春にGIを2つ勝った馬が、そこから2戦続けて足りない。そろそろ限界なのではないか、という見方が出るのは自然だった。

11月29日、ジャパンカップ。東京競馬場、芝2400メートル。

この日、ウオッカの鞍上は武豊ではなく、クリストフ・ルメールだった。ウオッカは1番人気に支持された。

直線、ウオッカとオウケンブルースリが並んだ。天皇賞(秋)と同じように、2頭は最後まで離れなかった。決着はハナ差、2センチ。ウオッカが前にいた。

勝ちタイムは2分22秒4。ジャパンカップの歴史の中でも指折りの速さで、日本の牝馬がこのレースを勝ったのは初めてだった。GI7勝目である。

このジャパンカップで、ウオッカは1つの記録を完成させている。東京競馬場の芝で行われる古馬のGI、すなわちヴィクトリアマイル、安田記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップを、すべて勝った最初の馬になった。1600メートルから2400メートルまで、同じ競馬場の異なる距離を、同じ1頭が勝ち切ったということである。

この年も、JRA賞年度代表馬に選ばれた。2年連続だった。

ドバイでの幕引き

2010年、ウオッカはもう1度ドバイへ向かった。

3月4日、メイダン競馬場のマクトゥームチャレンジラウンド3。鞍上はルメール。結果は8着だった。

レース中、この馬は2度目の鼻出血を発症していた。角居調教師と谷水オーナーの話し合いを経て、目標にしていたドバイワールドカップへの出走は取りやめとなり、3月18日に競走馬登録が抹消された。

引退レースを日本で用意することはできなかった。26戦10勝。中央では22戦10勝、ドバイでは4戦して1度も勝っていない。

海外での4戦を、この馬の戦績から取り除いてみたくなる人はいるかもしれない。ただ、その4戦を含めて26戦なのであって、勝てない場所へも出続けたことは、この馬の走り方そのものだった。

タニノギムレットとルション

血統を1行で言えば、父タニノギムレットの持続力と、母系から来る芯の強さである。

タニノギムレット自身は、ダービーを最後に8戦5勝で現役を退いた馬だった。種牡馬としての代表産駒を1頭挙げるなら、それはウオッカになる。

母タニノシスター、母の父ルション。カントリー牧場は、この牝系を長く手元に置いてきた。流行の血をその都度買い足していく作り方ではなく、自分のところの牝馬から次を出す形である。ウオッカは、その積み重ねの上に生まれている。

東京の直線で長く脚を使えたこと、1600メートルから2400メートルまで守備範囲があったこと、5歳の秋までGIを勝ち続けられたこと。この3つは、瞬発力だけで説明できるものではない。長い時間、同じ速さで走り続けられる馬だった、と言うほうが近い。

ニューマーケットの4月

引退後、ウオッカは繁殖牝馬になった。日本を離れ、アイルランドで繋養されている。

4番仔にあたるのがタニノフランケルで、父はイギリスの無敗馬フランケル。この馬は日本で走り、中央で26戦4勝、2019年の小倉大賞典で2着に入った。のちに種牡馬になっている。

2019年2月23日、ウオッカは配合のためイギリス・ニューマーケット近郊の牧場へ移された。3月10日の早朝、右後肢の第3指骨が粉砕骨折していることが分かる。手術は行われたが、その後、両方の後肢に蹄葉炎を発症した。

4月1日午後、安楽死の措置が取られた。15歳だった。

日本から遠く離れた場所での最期だった。

受け継がれたもの

ウオッカは2011年に顕彰馬に選ばれている。得票率は84.4パーセントだった。

東京競馬場のウオッカ像
東京競馬場のウオッカ像 / Unmaokur / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

この馬について語られるとき、最初に出てくるのは「64年ぶりの牝馬のダービー馬」という1行である。それは間違っていない。ただ、その1行だけだと、この馬の残りの3年がまるごと落ちる。

ダービーを勝ったあと、7戦勝てなかった。牝馬限定のレースへ避難することもできたのに、しなかった。東京の芝の古馬GIを全部勝つまでに、そこから2年半かかっている。13分間の写真判定と、2度のハナ差2センチは、その2年半の終わりのほうで起きたことだ。

いま、牝馬が牡馬混合のGIに出走することは、特別な出来事ではなくなった。そうなった理由を1頭に帰すのは乱暴だが、少なくともウオッカは、負けが続いた時期にも同じ場所に立ち続けることで、その前提を1つずつ動かした側にいる。

歴史を作った日の話より、その次の日から何をしたかのほうが、この馬の場合は長い。

参考資料・画像クレジット

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