ハーツクライ、2着を重ねた馬が待つのをやめた日

2着を重ね、5人の騎手が乗った馬が、最後に出会った騎手と走り方そのものを変えた。そして1度だけ、無敗の3冠馬の前にいた。

2005年有馬記念のハーツクライとクリストフ・ルメール
2005年12月25日・中山競馬場のハーツクライとクリストフ・ルメール / Goki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
種牡馬物語 この馬の父としての歩み・ジャスタウェイら産駒データはこちら ハーツクライの父としての歩みを読む

2005年12月25日、中山競馬場。第50回有馬記念。

その日、スタンドの視線はほとんど1頭に集まっていた。無敗でクラシック3冠を制したばかりのディープインパクト。単勝1.3倍。16頭が出走するレースで、人々は、その1頭がどこで動くのか、どれくらい突き抜けるのかを見に来ていた。

4コーナーを回ったとき、その景色は少しだけ違っていた。

ディープインパクトはまだ後方にいた。そして先頭から3番手につけていた鹿毛が、直線の入り口でもう外へ持ち出され、先に脚を使い始めていた。ハーツクライ。単勝17.1倍、4番人気。この日まで、GIを1つも勝っていない馬だった。

追ってくる足音は確かに聞こえていたはずだ。それでも、先に動いた分だけ、ゴール板が近かった。

2分31秒9。半馬身。

中山競馬場(有馬記念の舞台)
中山競馬場(有馬記念の舞台) / 江戸村のとくぞう / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

この馬は、長いあいだ「後ろから来て、届かない馬」と見られていた。その馬が、1度だけ前にいた。なぜその日だけだったのか。話は2年前に戻る。

19戦5勝
有馬記念(2005・GI初制覇)
ドバイシーマクラシック(2006・4馬身差)
2005年度 JRA賞最優秀4歳以上牡馬

ハーツクライの記録

母は、新潟でよく走った

父はサンデーサイレンス。母はアイリッシュダンス。母の父はトニービン。社台ファームの生まれである。

血統表だけを見れば、当時の日本で最も期待される組み合わせの1つだ。ただ、母アイリッシュダンスの現役時代は、クラシックの主役という走り方ではなかった。1990年生まれのこの牝馬は20戦9勝。5歳になった1995年に新潟大賞典と新潟記念を勝っている。長く走り、時間をかけて力をつけ、古馬になってから重賞を勝った牝馬だった。

ハーツクライは、その5番目の子として生まれた。上の兄姉に大レースを勝った馬はいない。

栗東の橋口弘次郎厩舎に入り、デビューは2004年1月5日、京都の新馬戦。鞍上は武豊。ここを勝った。

素質はあった。ただ、そこから先に待っていたのは、真っすぐな上り坂ではなかった。

皐月賞14着から、ダービー2着へ

2004年2月、きさらぎ賞3着。3月、若葉ステークス1着。ここまでは順調に見えた。

4月18日、皐月賞。結果は14着だった。

クラシックの1冠目で2桁着順に沈んだ馬が、次に何を期待されるかというと、あまり多くはない。それでも陣営は東京優駿を目指した。5月8日の京都新聞杯を勝ち、賞金を積んで本番へ向かう。

5月30日、東京優駿。日本ダービー。

この年のダービーは、キングカメハメハがレースレコードで勝った。ハーツクライは直線で大外から追い上げ、3着のハイアーゲームは捕らえたが、前にいた1頭には届かなかった。2着。

皐月賞14着からダービー2着へ。振れ幅の大きさは、この馬の能力を証明していた。同時に、この日から始まる長い時間の入り口でもあった。

秋は神戸新聞杯3着、菊花賞7着、ジャパンカップ10着、有馬記念9着。3歳の1年を、勝ち星3つで終えた。

東京競馬場(日本ダービー・ジャパンカップの舞台)
東京競馬場(日本ダービー・ジャパンカップの舞台) / Goki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

2着の馬

4歳になった2005年、ハーツクライは古馬の一線級と戦い続けた。

4月3日、産経大阪杯2着。5月1日、天皇賞(春)5着。6月26日、宝塚記念2着。宝塚記念で前にいたのはスイープトウショウで、着差はクビだった。

強い。けれど勝てない。この年の前半、ハーツクライに付いていた評価はおおむねそういうものだった。

もう1つ、この馬の戦績には目立つ事実がある。鞍上が替わり続けていた。新馬戦は武豊。きさらぎ賞は幸英明。若葉ステークスから京都新聞杯までは安藤勝己。ダービーからは横山典弘。秋には再び武豊が乗り、2004年の有馬記念からまた横山典弘に戻る。デビューから2005年の夏までに、4人の騎手がこの馬の背中に座っていた。

それ自体は当時めずらしいことではない。ただ、追い込んで届かないレースが続く馬にとって、乗り替わりは「この馬はこう乗るものだ」という前提を毎回作り直す作業でもある。後ろから運び、直線で外へ出し、長く脚を使って追い上げる。その形は、たしかに何度も惜しいところまで来ていた。来ていたが、ゴール板の手前で終わっていた。

秋、5人目の騎手が乗ることになる。

ハナ差3センチ、日本レコードの2着

10月30日、天皇賞(秋)。ハーツクライの鞍上に、クリストフ・ルメールが座った。結果は6着。勝ったのはヘヴンリーロマンスだった。

続く11月27日、ジャパンカップ。ここでハーツクライは、後方から馬群を割って追い込んだ。

勝ったのはアルカセット。勝ちタイムは2分22秒1で、当時のレースレコードを0.1秒上回る日本レコードだった。ハーツクライは、同じ2分22秒1で入線している。着差はハナ、3センチ。

同じ時計で走って、負けた。

これ以上ないほど分かりやすい「2着」だった。日本ダービー2着、産経大阪杯2着、宝塚記念2着、そしてジャパンカップ2着。19戦のうち4回が2着という戦績は、この馬の速さと、この馬に足りていない何かを同時に示していた。

ルメールは、この馬に2回乗って、その両方を見たことになる。

待つのをやめた日

そして12月25日、有馬記念。

この日のディープインパクトは、無敗のまま3冠を制した3歳馬だった。単勝1.3倍。競馬を見ない人にも名前が届いていた馬で、多くの視線は、後方から外へ出てくる1頭を待っていた。

ルメールは、待たなかった。

ゲートが開くと、ハーツクライは前へ出た。タップダンスシチーが引っ張る流れの3番手。追い込み馬として扱われてきた馬を、先行させたのである。それまでの15戦で、この馬がここまで積極的に運んだレースはほとんどない。直線に向くころ、ディープインパクトはまだ後方10番手付近にいた。

坂を上がるとき、ハーツクライは先頭に立っていた。後ろから、あの馬が来ていた。誰もがそう思っていたし、実際に来ていた。

2分31秒9。ハーツクライ1着。ディープインパクトは半馬身差の2着。3着はリンカーンだった。

追い込み馬が差し切ったのではない。追い込まれる側に回って、抜け出した。ルメールがやったのは、この馬の脚をどこで使うかを、根本から置き換えることだった。長く使える脚は、後ろで温存するためだけのものではない。前に行っても、同じだけ持つ。

16戦目で初めてのGI制覇であり、ディープインパクトが日本で喫した唯一の敗戦だった。

このレースについては、負けた側から書いた記事もある。同じ半馬身を反対から見ると、また少し違う景色になる。

ドバイの直線で、鞭は動かなかった

2006年3月25日、ドバイシーマクラシック。

有馬記念で通用した形を、そのまま海外へ持ち込んだ。逃げ先行の作戦。直線に入ると、ハーツクライは後続を突き放していく。2着ウィジャボードとの差は4馬身。

このとき、ルメールは鞭を使っていない。追う必要がなかった、ということである。

日本の馬が海外G1を勝つこと自体は、このころには前例があった。それでも、国内では勝ちきれない時間を2年近く過ごした馬が、国外の大レースで最も強い競馬をしたという順序は、この馬らしかった。

7月29日、イギリス・アスコット競馬場。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。

ここでもハーツクライは3、4番手を追走し、最後の直線では1度先頭に立った。ヨーロッパの一線級を相手に、日本の中距離馬が正面から前を取りに行った。結果は3着。届かなかったが、この馬がどこまで通用するかという問いには、はっきりした答えが出た。

静かな幕引き

秋、ハーツクライはジャパンカップに向かった。2006年11月26日、東京。

このレースを勝ったのは、ディープインパクトだった。ハーツクライは10着に終わっている。

橋口調教師は、この大敗にはのどの不調(喘鳴症)の影響があるという見方を示した。関係者の協議を経て、11月28日に現役引退が発表され、2007年から種牡馬となることが決まった。

1年前に自分が負かした相手が勝つレースで、この馬の現役は終わった。19戦5勝。G1級競走の勝利は、国内GIの有馬記念と海外G1のドバイシーマクラシックの2つ。2005年度のJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選ばれている。

2023年3月9日、22歳でその生涯を終えた。

ディープインパクト一色だった年に

2005年という年を思い出すとき、多くの人はまず1頭の名前を挙げる。それは当然で、無敗の3冠は簡単に起きることではない。

ただ、その年の暮れに勝ったのはハーツクライだった。

主役が決まっている時代には、それ以外の馬の物語が見えにくくなる。皐月賞14着があり、ダービー2着があり、4人の騎手が乗り、宝塚記念でクビ差、ジャパンカップでハナ差。ハーツクライの2年間は、そのどれもが「あと少し」で終わっていた。有馬記念の半馬身は、その積み重ねの上に置かれている。

強い1頭がいる年に、2番目の位置にいた馬にも、そこまでの時間がある。1度だけ順番が入れ替わった日があったから、この馬の名前は残った。

サンデーサイレンスとトニービン

血統を1行で言えば、父サンデーサイレンスの切れ味と、母父トニービンの持続力である。

トニービンは、東京競馬場の長い直線で伸び続ける産駒を多く出した種牡馬として知られる。母アイリッシュダンスが古馬になってから重賞を勝ったことも含め、ハーツクライには「すぐ完成しない代わりに、長く使える」という性質が入っていた。追い込んで届かない時期が続いたのも、前に行って止まらなかったのも、同じ脚の質から出ている。

瞬間の切れで置き去りにするのではなく、長い時間、同じ速さで走り続ける。有馬記念の3番手も、ドバイの4馬身も、そこから説明がつく。

父としての歩みは、別の記事で

種牡馬としてのハーツクライは、ジャスタウェイ、ワンアンドオンリー、ヌーヴォレコルト、シュヴァルグラン、スワーヴリチャード、リスグラシュー、ドウデュースといったGI馬を送り出した。2019年の有馬記念はリスグラシューが勝ち、父と娘で同じレースを制している。

産駒の傾向、リーディングでの位置、距離や馬場ごとの数字は、種牡馬物語のほうにまとめてある。この記事では、現役時代の話にとどめておきたい。

受け継がれたもの

ハーツクライは、無敗の3冠馬を負かした馬として記憶されている。

それは間違っていない。ただ、その1行だけだと、この馬の2年間がまるごと落ちる。

19戦のうち、勝ったのは5回。2着が4回。同じタイムで負けた日も、クビ差で負けた日もあった。届かないと言われ続け、乗り手が替わり続け、それでも同じ馬が走り続けた。2005年12月25日に起きたのは、その馬が走り方を1つ変えたということだけである。変えたら、前にいた。

決めつけられたあとに、もう1度やり方を変えられるか。ハーツクライの現役時代は、そういう形をしていた。

参考資料・画像クレジット

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