1993年7月11日、福島競馬場。七夕賞の日のスタンドに、47,391人が詰めかけた。福島競馬場の入場人員の記録になる数である。
8枠16番の小さな鹿毛が、ゲートを出て先頭に立つ。2ハロン目が10秒6、3ハロン目が10秒9。まるで短距離戦の速さで、芝2000メートルを飛ばしていく。
1000メートルの通過は57秒4。後ろとの差は、まだ開く。
直線に入っても、脚は止まらない。2着のアイルトンシンボリに4馬身。ツインターボ、2年ぶりの勝利。
鞍上の中舘英二は、この日が初騎乗。レースのあと、こう話している。
「僕は掴まっていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」
ツインターボの記録
- 生年月日: 1988年4月13日(1998年1月15日没)
- 父: ライラリッジ
- 母: レーシングジイーン
- 母父: サンシー
- 生産: 北海道静内町
- 調教師: 笹倉武久(美浦)
- 主な騎手: 大崎昭一、中舘英二、柴田善臣、石塚信広
- 現役成績: 35戦6勝(中央22戦5勝、地方13戦1勝)
- 主な勝ち鞍: オールカマー(1993)、七夕賞(1993)、ラジオたんぱ賞(1991)
ハナに立て
父のライラリッジは、アメリカのダートで下級のレースを2つ勝っただけの馬。ツインターボは、その最初の産駒の世代にあたる。母のレーシングジイーンも11戦1勝に終わっている。同じ年に種牡馬になったシンボリルドルフやサクラユタカオーと比べれば、ほとんど注目されていなかった。
しかも成長が遅い。ようやくデビューしたのは、3歳の3月である。
1991年3月2日、中山のダート1800メートルの新馬戦。調教師の笹倉武久が鞍上の石塚信広に伝えたのは、これだけだった。
「好きなように走らせろ。ハナ(先頭)に立て。あとは舵をとるだけでいい」
石塚は、そのとおりに乗る。スタートから先頭に立ち、3馬身差の逃げ切り。続く3月24日のもくれん賞も、芝2000メートルを1馬身半差で逃げ切ってみせた。
デビュー戦の馬体重は438キロ。その後も406キロから426キロのあいだで、最後まで小さな体のまま走り続けている。
福島の夏、ラジオたんぱ賞
続く青葉賞は9着、駒草賞は5着。どちらも東京の2000メートル以上で、先頭には立てても、最後までは持たない。
そして1991年6月30日、福島。ラジオたんぱ賞、芝1800メートル。5番人気。
大崎昭一を背に、ツインターボはいつものように逃げた。向こう正面で後ろを大きく離し、そのまま押し切る。2着のカミノスオードに1馬身半。ついに初重賞制覇。
秋も止まらない。セントライト記念は2着で、このあと菊花賞を勝つレオダーバンにクビ差の先着。11月17日にはもう1度福島へ行き、福島記念でも2着に入っている。
有馬記念の先頭
1991年12月22日、中山。初めてのGIは、有馬記念だった。
1番人気はメジロマックイーン。その前を、ツインターボが疾走する。3コーナーまでは先頭だったが、直線で止まった。14着。
勝ったのは14番人気のダイユウサク。メジロマックイーンは1馬身1/4届かず、2着に終わる。
レースのあと、鼻出血が判明。年が明けても体調は戻らない。次に走ったのは11か月後、1992年11月の福島民友カップで、1番人気を背負いながら10着。
1993年に入っても、金杯6着、中山記念6着、新潟大賞典8着。勝てないまま、2年近くが過ぎていく。
47,391人の七夕賞
7月、陣営が選んだのは福島だった。ラジオたんぱ賞を勝ち、福島記念で2着に入った競馬場である。
鞍上も替わる。それまでのツインターボは、スタートで遅れることがあった。そこで呼ばれたのが、スタートがうまく、逃げを得意にする中舘英二。中舘自身、新馬戦のころからこの馬の走りを見ていて、1度乗ってみたいと思っていたという。
そして、冒頭のレースになる。
1000メートル57秒4。後半の4ハロンは12秒2、12秒6、12秒4、12秒7と落ちていく。それでも、後ろは追いつけない。勝ちタイムは1分59秒5、馬体重は412キロ。
2着のアイルトンシンボリは480キロ。68キロ重い馬が、4馬身後ろにいた。
オールカマーの5馬身
2か月休んで、9月19日の中山。オールカマー、芝2200メートル。
1番人気は、この年の天皇賞(春)を勝ったライスシャワー。2番人気が桜花賞馬のシスタートウショウ。ツインターボは3番人気である。
スタートから行く。向こう正面で、2番手のホワイトストーンまで約10馬身。その後ろの集団は、さらに10馬身以上も後ろ。
ホワイトストーンに乗っていた柴田政人は、あとでこう話している。
「あれ以上深追いしてたらホワイトストーンが潰れていた」
だから、誰も追いかけない。ところが1000メートルの通過は59秒5で、飛ばしすぎた流れでもなかった。直線でも脚は鈍らず、2着のハシルショウグンに5馬身。ライスシャワーは3着、シスタートウショウは5着。
中舘は、レースのあとにパトロールフィルムを見て、こう言っている。
「何でこんなに離れているんだろうって、信じられなかった」
70メートル
10月31日の天皇賞(秋)。前日の発売では1番人気、当日は3番人気。
だが今度は、ほかの馬が大逃げを許さない。ぴったりマークされ、先頭を保てず、17着に沈む。勝ったのはヤマニンゼファーだった。
ここから先、中央では1度も勝てていない。逃げて、止まる。その繰り返しで9連敗。中舘は「オールカマーで燃え尽きちゃったような気もする」と振り返る。
それでも、逃げることだけはやめなかった。
1994年12月25日、中山の有馬記念。鞍上は田中勝春。道中のリードを、実況が「70メートル」と伝えるほどの大逃げである。結果は13着。勝ったのは、その年に3冠を取ったナリタブライアン。
逃げなかった1回
1995年4月13日、大井の帝王賞。鞍上は武豊。
ゲートで出遅れ、この日のツインターボは先頭に立たなかった。15着。
35戦のうち、逃げなかったのはこの1戦だけである。
上山の最初の1勝
1995年の夏、ツインターボは山形の上山競馬へ移る。
7月23日の文月特別、ダート1700メートル。1番人気に応えて勝利。中央の5勝に、地方の1勝が加わる。
ただ、そのあとの11戦は1つも勝てていない。最後のレースは1996年8月13日、盛岡のクラスターカップ。11着。
1997年、宮城県の牧場で種牡馬に。残した産駒は1世代、5頭だけ。1998年1月15日、心不全であの世へ旅立った。9歳。
勝つか、止まるか
同じ1988年生まれのトウカイテイオーは、ツインターボがデビューした翌月、無敗のまま皐月賞を勝っている。そのまま日本ダービーも勝った。古馬には、メジロマックイーンがいた。
ツインターボは、その真ん中にはいない。勝った重賞はGIIIが3つ。GIは3回走って、いちばん良くて13着。
それでも、名前は残った。『優駿』は死後、「最後の個性派」と書いている。2004年に『優駿』が行った個性派の投票では、逃げ馬の部門で2位。1位はサイレンススズカである。
勝つときは、後ろが見えないところまで逃げて勝つ。負けるときは、直線の手前でぱったり止まる。どちらになるかは、ゲートが開いてみないと分からない。
そのどちらかを、ツインターボは毎回、全力で見せた。
ライラリッジと、レーシングジイーン
母の父はサンシー。生まれは北海道の静内町で、幼いころから食が細く、小さな馬だったという。
父と母の成績は、上に書いたとおり。血統表から、この走り方は読み取れない。小さく、成長が遅く、そしてゲートが開くと先頭へ行く。
七夕賞の日の準メイン
2014年7月13日。福島競馬場は、また七夕賞の日を迎えていた。
この年、JRAは60周年を記念して、過去の名馬の名前をレース名にするメモリアルレースを行っている。名前はファン投票で決まる。福島の七夕賞の日、その準メインに選ばれたのがツインターボ。2位のミヤビランベリの倍以上の票を集めての選出だった。
レース名は、「韋駄天 ツインターボカップ」。
1993年の夏、47,391人の前を逃げ切ってから21年。福島の夏、七夕賞の日のことである。
全成績
| 年月日 | 競馬場 | レース | 距離 | 人気 | 着順 | 騎手 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991/3/2 | 中山 | 新馬 | ダート1800 | 3 | 1 | 石塚信広 |
| 1991/3/24 | 中山 | もくれん賞 | 芝2000 | 7 | 1 | 石塚信広 |
| 1991/4/27 | 東京 | 青葉賞 | 芝2400 | 11 | 9 | 大崎昭一 |
| 1991/5/26 | 東京 | 駒草賞 | 芝2000 | 5 | 5 | 柴田政人 |
| 1991/6/30 | 福島 | ラジオたんぱ賞(GIII) | 芝1800 | 5 | 1 | 大崎昭一 |
| 1991/9/22 | 中山 | セントライト記念(GII) | 芝2200 | 3 | 2 | 大崎昭一 |
| 1991/11/17 | 福島 | 福島記念(GIII) | 芝2000 | 2 | 2 | 大崎昭一 |
| 1991/12/22 | 中山 | 有馬記念(GI) | 芝2500 | 11 | 14 | 大崎昭一 |
| 1992/11/8 | 福島 | 福島民友カップ | 芝1800 | 1 | 10 | 柴田善臣 |
| 1993/1/5 | 中山 | 金杯(GIII) | 芝2000 | 5 | 6 | 柴田善臣 |
| 1993/3/14 | 中山 | 中山記念(GII) | 芝1800 | 8 | 6 | 柴田善臣 |
| 1993/5/16 | 新潟 | 新潟大賞典(GIII) | 芝2200 | 2 | 8 | 大崎昭一 |
| 1993/7/11 | 福島 | 七夕賞(GIII) | 芝2000 | 3 | 1 | 中舘英二 |
| 1993/9/19 | 中山 | オールカマー(GIII) | 芝2200 | 3 | 1 | 中舘英二 |
| 1993/10/31 | 東京 | 天皇賞(秋)(GI) | 芝2000 | 3 | 17 | 中舘英二 |
| 1994/1/23 | 中山 | アメリカジョッキークラブカップ(GII) | 芝2200 | 3 | 6 | 中舘英二 |
| 1994/3/20 | 中山 | 日経賞(GII) | 芝2500 | 3 | 6 | 中舘英二 |
| 1994/8/21 | 札幌 | 函館記念(GIII) | 芝2000 | 4 | 11 | 田面木博公 |
| 1994/11/20 | 福島 | 福島記念(GIII) | 芝2000 | 3 | 8 | 宗像徹 |
| 1994/12/25 | 中山 | 有馬記念(GI) | 芝2500 | 10 | 13 | 田中勝春 |
| 1995/1/22 | 中山 | アメリカジョッキークラブカップ(GII) | 芝2200 | 4 | 10 | 中舘英二 |
| 1995/4/13 | 大井 | 帝王賞 | ダート2000 | 3 | 15 | 武豊 |
| 1995/5/14 | 福島 | 新潟大賞典(GIII) | 芝2000 | 5 | 11 | 宗像徹 |
| 1995/7/23 | 上山 | 文月特別 | ダート1700 | 1 | 1 | 海方栄二 |
| 1995/8/20 | 上山 | 一般 | ダート1700 | 2 | 9 | 海方栄二 |
| 1995/9/3 | 上山 | 一般 | ダート1700 | 2 | 7 | 海方栄二 |
| 1995/9/19 | 上山 | 長月特別 | ダート1800 | 3 | 10 | 田代義久 |
| 1995/10/15 | 上山 | 神無月特別 | ダート1700 | 2 | 9 | 田代義久 |
| 1995/10/31 | 上山 | 一般 | ダート1800 | 6 | 9 | 田代義久 |
| 1996/4/16 | 上山 | 一般 | ダート1800 | 3 | 9 | 海方栄二 |
| 1996/4/29 | 上山 | 一般 | ダート1800 | 3 | 9 | 海方栄二 |
| 1996/6/10 | 上山 | 水無月特別 | ダート1700 | 3 | 9 | 遠藤五月 |
| 1996/7/9 | 上山 | 文月特別 | ダート1800 | 3 | 7 | 遠藤五月 |
| 1996/7/22 | 上山 | 一般 | ダート1700 | 4 | 7 | 遠藤五月 |
| 1996/8/13 | 盛岡 | クラスターカップ | ダート1200 | 4 | 11 | 海方栄二 |
参考資料・画像クレジット
- JRA-VAN 名馬メモリアル ツインターボ: https://jra-van.jp/fun/memorial/1988106332.html
- Wikipedia ツインターボ (競走馬): https://ja.wikipedia.org/wiki/ツインターボ_(競走馬)
- netkeiba ツインターボの競走成績: https://db.netkeiba.com/horse/result/1988106332/
- netkeiba 1991年 ラジオたんぱ賞: https://db.netkeiba.com/race/199103010611/
- netkeiba 1993年 七夕賞: https://db.netkeiba.com/race/199303010811/
- netkeiba 1993年 産經賞オールカマー: https://db.netkeiba.com/race/199306040411/
- netkeiba 1991年 有馬記念: https://db.netkeiba.com/race/199106050809/
- 画像: Fukushima Keibajo Front Close.jpg / Purplepumpkins / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons