キズナ、届かなかった夢まで産駒へ渡した馬

東京の直線、ロンシャンへ向かった秋、もう一度を待っていた時間。 その続きを、産駒たちの週末まで追っていく。

2013年東京優駿のキズナ
Kizuna Tokyo-Yushun 2013(IMG1).jpg / Nadaraikon / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
14戦7勝
日本ダービー
ニエル賞
大阪杯

東京の直線で、まだ前に馬がいた

直線の半ばで、キズナの前にはまだ馬がいた。

2013年の日本ダービー。エピファネイアが先に抜け出し、ロゴタイプも粘っている。 キズナは外だった。スタンドから見れば、少し遠いところだ。 そこから黒い馬体が一完歩ずつ前へ出てくる。

派手な一撃ではない。長い脚をほどかずに伸ばし続ける追い込みだった。 残り200メートルを過ぎても、届くかどうかはまだわからない。けれど、近づいてくる。 東京の直線が、ぎりぎりまで長く見える。

ゴールのあと、競馬場の空気が変わった。

キズナのダービーは、ただの世代頂点ではなかった。父はディープインパクト。 鞍上は、そのディープインパクトでダービーを勝った武豊騎手。 しかも武騎手にとっては、しばらく遠ざかっていた大舞台での勝利だった。

父の子が、父の騎手を乗せて、父と同じ東京2400メートルを差し切る。

できすぎた話だった。でも、現実に起きた。

キズナの記録

届くか、届かないかの馬

キズナは最初から期待の大きい馬だった。父ディープインパクト、母キャットクイル。 姉には桜花賞と秋華賞を勝ったファレノプシスがいる。 血統表だけを見れば、走って当然と思われてもおかしくない。

けれど競馬は、血統表の通りには進まない。

2歳秋の京都芝1800メートルで新馬戦を勝ち、続く黄菊賞も勝利。 ラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは3着に敗れた。3歳春、毎日杯と京都新聞杯を連勝してダービーへ向かう。 キズナはいつも後ろから脚を使った。届くか、届かないか。その危うさまで含めて、目を離しにくい。

2013年京都新聞杯のキズナ
Kizuna Kyoto Shimbun Hai 2013.jpg / Nadaraikon / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

ダービー前、武豊騎手はキズナについて、ディープインパクトの子どもであることがうれしいと語り、 フォームや背中の感触に父の気配を感じていた。別の場では「乗り味が抜群だった」とも振り返っている。 きれいな言葉で飾らなくても、その一言で十分だった。騎手の体に残るものがあったのだ。

関係者の言葉

「楽しく、思い切って」

佐々木晶三調教師は、ダービー前の取材で武騎手をそう送り出している。 腹をくくって乗れる騎手だと見ていた。あの直線の外。前を追う黒い馬体。 そこに、任せた側の静かな覚悟も乗っていた。

ロンシャンへ続いた秋

秋、キズナはフランスへ渡った。

日本のダービー馬が3歳の秋に凱旋門賞へ向かう。当時の空気では、かなり大きな選択だった。 前哨戦のニエル賞では、英ダービー馬ルーラーオブザワールドを相手に勝ち切る。 ロンシャンの芝で、日本のダービー馬がヨーロッパのダービー馬を負かした。 その響きだけで、胸の奥が少し熱くなる。

凱旋門賞は4着だった。勝ったのはトレヴ。日本からはオルフェーヴルも出ていて、 結果だけを見れば、また届かなかったレースだ。

それでもキズナは、ただ負けた馬としては残っていない。フォルスストレートから動き、勝負に参加しにいった。 父ディープインパクトが届かなかった場所へ、その子が挑んだ。その事実が、ファンの記憶に残った。

もう一度を待っていた時間

4歳春の大阪杯で、キズナはまた強い勝ち方をする。ここから先がある。そう思わせる内容だった。

第58回大阪杯のキズナ
Kizuna IMG 7021-2 20140406.JPG / Ogiyoshisan / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons

けれど次の天皇賞・春で4着に敗れたあと、左第3手根骨の骨折が判明する。 復帰した5歳春は京都記念3着、大阪杯2着、天皇賞・春7着。 秋の復帰へ向けていたところで、右前繋部浅屈腱炎により引退が決まった。

14戦7勝。

数字は短い。けれど、その中にダービー、ロンシャン、大阪杯、故障、復帰への時間が詰まっている。 もっと走れたかもしれない。もう一度、大きな舞台で見たかった。 キズナを語るとき、その惜しさは消えない。むしろ、その惜しさがあるから、産駒の走りを見る目が少し変わる。

キズナの現役時代は、勝ったレースだけで終わらない。届かなかった夢まで、次の世代へ渡してしまった馬だった。

名前に託されたもの

優駿WEBは、キズナの馬名が東日本大震災後の空気と結びついていたこと、 そしてノースヒルズの前田幸治氏がドバイで受けた励ましから、 期待馬に「キズナ」と名付けようと決めた経緯を紹介している。

スポニチのインタビューでも、前田氏はキズナという名を「復興を目指すシンボル」と重ねて語っている。

ここは大げさに書くと、すぐに薄くなる。けれど、キズナという馬名がただの響きではなかったことは、 記事の外に置いておけない。父と子。馬と騎手。牧場と育成地。震災後の言葉。 キズナは、名前のほうから馬に寄ってきたような一頭だった。

父ディープインパクトから受け取ったもの

父ディープインパクトは、日本競馬の血統地図を変えた馬だ。 クラシックを勝つ力、軽い芝での切れ味、長く脚を使えるしなやかさ。その血は多くの産駒に広がった。

キズナは、そのディープインパクト産駒として日本ダービーを勝った。 父が勝ったレースを、父の子が勝つ。しかも鞍上も同じ武豊騎手。 血統表の話が、そのまま競馬場の光景になったような勝利だった。

母キャットクイルはStorm Catの血を持つ。北米的なスピードや前向きさを感じさせる血だ。 キズナ自身は、ただ軽く切れるだけの馬ではなかった。 後ろから伸びる馬でありながら、フランスの芝にも向かい、大阪杯の2000メートルでも強さを見せた。

細いナイフというより、長く使える刃。

種牡馬になってからの産駒が一色に収まらないのも、そこにつながって見える。 マイルで切れる馬もいる。長距離で粘る馬もいる。クラシックで前へ出る馬もいる。 父から受けたものを、そのまま複写するのではなく、母系や馬体に合わせて違う出方をする。

夢の続きは、産駒たちの週末へ

キズナが種牡馬になったあと、最初に強く印象を残したのは幅だった。

ソングラインは安田記念を連覇した。東京マイルの大舞台で、鋭く、しぶとく差し切る牝馬だ。 アカイイトはエリザベス女王杯で一気に景色を変えた。ディープボンドは長距離戦線で何度も踏ん張り、 ジャスティンミラノは皐月賞を勝ってクラシックの中心へ出た。

同じ父なのに、顔つきが違う。

キズナの産駒は、ひとつの型に閉じない。芝のマイル、中距離、長距離。 牝馬も牡馬も、重賞の舞台へ上がってくる。 現役時代のキズナが「切れ味だけではない馬」だったことを、産駒たちが別々の形で証明しているようにも見える。

2025年のJRA種牡馬リーディングでは、キズナが総賞金約44億円で首位だった。 首位に立つには、ひとつの大レースだけでは足りない。 条件戦から重賞まで、毎週のように産駒が走り、賞金を積み上げる必要がある。

ダービーの直線から始まった馬が、今度は父として、週末ごとに名前を呼ばれる。

代表産駒に見えるキズナらしさ

ソングライン

安田記念を連覇した牝馬。東京マイルでの鋭さと完成度を、キズナ産駒の印象に刻んだ。

ジャスティンミラノ

皐月賞を勝った牡馬。キズナのクラシック種牡馬としての評価を押し上げた。

アカイイト

エリザベス女王杯で大きな勝利をつかんだ牝馬。産駒の振れ幅と爆発力を見せた。

ディープボンド

長距離の重賞戦線で長く走り続けた馬。切れ味だけではない、しぶとさを伝える存在。

キズナ産駒のジャスティンミラノ
Justin Milano 20231118.jpg / 江戸村のとくぞう / CC0 1.0 / Wikimedia Commons

産駒成績

集計年:2025年JRA成績

2025年成績集計では、キズナ産駒は1430走164勝、3着内443回。 芝だけでなくダートにも勝ち鞍があり、距離もマイル前後を中心に長短へ広がっている。

1430走 出走
164勝 勝利
11.5% 勝率
31.0% 3着内率
芝 993走(69.4%) ダート 437走(30.6%)
短距離 19勝
マイル前後 79勝
中距離 42勝
長距離 24勝

馬場別に見る

区分 出走 勝利 勝率 勝ち鞍の割合
993走 113勝 11.4% 68.9%
ダート 437走 51勝 11.7% 31.1%

出走数は芝が多い。ただ、勝率だけを見るとダートも大きく落ちない。 「芝のディープインパクト後継」という入口から入りながら、ダートにも手を伸ばしているのがキズナらしいところだ。

勝ち鞍の距離分布

距離帯 勝利 割合 読み方
短距離 19勝 11.6% 主戦場ではないが、スピードも途切れない。
マイル前後 79勝 48.2% もっとも厚いゾーン。切れ味と持続力が同居する。
中距離 42勝 25.6% クラシックへつながる距離でも存在感がある。
長距離 24勝 14.6% ディープボンドのような粘りも出る。

タイプで見る代表産駒

芝マイル
ソングライン。東京の直線で鋭く、しぶとく差す。
クラシック中距離
ジャスティンミラノ。皐月賞の勝利で、父の名前をクラシックへ戻した。
中長距離
ディープボンド。長く脚を使い、重賞戦線で踏ん張り続けた。
ダート
ナチュラルライズ。芝だけではない父の幅を、別の舞台から見せる。

こうして見ると、キズナ産駒はひとつの得意条件に閉じない。 マイル前後に厚みを置きながら、中距離にも、長い距離にも、ダートにも顔を出す。 現役時代に届かなかった時間が、父になってから、別々の姿でほどけている。

キズナらしさは、芝の切れ味だけで終わらないことにある。 距離や馬場が変わっても、産駒の走りにはいくつもの入口が残っている。

受け継がれたもの

キズナの物語は、東京競馬場の直線で終わっていない。

あのダービーは、父ディープインパクトの血を受け継いだ馬が、武豊騎手を背に世代の頂点へ届いたレースだった。 フランスではニエル賞を勝ち、凱旋門賞で世界の厚さを知った。 古馬になってからは大阪杯を勝ち、それでも脚元に悩まされ、もう一度の大舞台を待たずに引退した。

だから、産駒が走るとき、そこには少しだけ「続き」を見てしまう。

ソングラインが東京のマイルを差し切る。ジャスティンミラノがクラシックを勝つ。 ディープボンドが長い距離で踏ん張る。父キズナの走りそのものではない。別の馬だ。別のレースだ。

それでも、外から伸びてきたあの直線を覚えている人には、どこかでつながって見える。

春の東京で、外から一頭ずつ前の馬を抜いていった黒い馬体。ロンシャンへ向かった秋。 大阪杯のあとに待っていたはずの、もう一度。

その続きを、産駒たちが週末ごとに少しずつ走っている。

参考資料・画像クレジット

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