ナリタブライアン、シャドーロールが隠した弱さと、3冠の速さ

鼻先の白い道具は、弱点を隠す実用品から、強さの象徴に変わった。

1996年3月9日、阪神競馬場のナリタブライアン
ナリタブライアン(1996年3月9日・阪神競馬場) / Goki / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

1996年3月9日、阪神競馬場。芝3000メートルの阪神大賞典で、1頭の黒鹿毛が、鼻先に白いシャドーロールを付けて先頭を走っていた。

隣に、マヤノトップガンがいた。2頭はいつのまにか後続を大きく引き離し、長い直線で並んだまま叩き合いに入る。追う馬はいない。ゴールまで、この2頭だけの競馬だった。競り合いを制したのは、外のナリタブライアンだった。

1年少し前まで、この馬はクラシック3冠を無敗級の強さで駆け抜けた3冠馬だった。だがその後、体を故障し、しばらく勝てない時期が続いていた。戻ってきた背中に、多くの人が「あのブライアンが帰ってきた」と息をのんだ。

阪神大賞典で並ぶ2頭(右がナリタブライアン、左がマヤノトップガン)
阪神大賞典で並ぶ2頭(右=ナリタブライアン/武豊、左=マヤノトップガン/田原成貴) / Mogami Masumi(もがみますみ) / Copyrighted free use / Wikimedia Commons

鼻の上のシャドーロールは、もともと弱点を隠すための道具だった。この馬の強さはどこから来て、そして、なぜこんなにも短かったのか。時間を、3年前に戻したい。

21戦12勝
クラシック3冠(1994・史上5頭目)
GI5勝(朝日杯3歳S・皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念)
1994年度 年度代表馬

ナリタブライアンの記録

臆病な弱点と、鼻の上の道具

強い馬の物語は、たいてい強さから始まる。ナリタブライアンの物語は、弱さから始まる。

父はブライアンズタイム、母はパシフィカス、母父はNorthern Dancer。北海道・新冠の早田牧場新冠支場に生まれた黒鹿毛は、血統では恵まれた1頭だった。母パシフィカスは、前年に年度代表馬となる半兄ビワハヤヒデを産んだ牝馬でもある。素質は疑いようがなかった。

ただ、この馬には生来の臆病さがあった。疾走中に自分の影を怖がり、走りに集中できない。持っている能力を、レースでうまく出し切れないところがあった。

そこで陣営が着けたのが、シャドーロールだった。鼻革の上に付ける羊毛の道具で、下方の視界を遮る。足元や地面の影が目に入らなくなり、馬は前だけを見て走れるようになる。ナリタブライアンがこれを初めて着けたのは、1993年11月21日の京都3歳ステークス。この1戦を勝つと、続く朝日杯3歳ステークス(中山・GI)も制した。鞍上はいずれも南井克巳。2歳の暮れには、早くも世代の頂点に立っていた。

弱点を、1つの道具でふさぐ。そこから、この馬の快進撃が始まる。

無敗級で駆け上がった3冠

1994年、ナリタブライアンはクラシック戦線の主役だった。

皐月賞(4月17日・中山・芝2000m)。18頭の1番人気に応え、2着サクラスーパーオーに0.6秒差をつけて完勝する。続く東京優駿・日本ダービー(5月29日・東京・芝2400m)でも、2着エアダブリンを0.9秒差で退けた。単勝はいずれも断然の1番人気。強い馬が、強いままに勝つ。派手な追い込みではなく、好位から力でねじ伏せる競馬だった。手綱はすべて南井克巳。折り合いを欠かさず、勝負どころで持ったまま先頭に並びかける。抑えの利いた騎乗が、この馬の力を素直に引き出していた。

京都競馬場(菊花賞の舞台)
京都競馬場(菊花賞の舞台) / Nadaraikon / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

3冠目の菊花賞(11月6日・京都・芝3000m)。長距離でも、強さは変わらなかった。2着ヤシマソブリンに1.1秒差をつけて優勝し、勝ちタイムは3分04秒6。これは、前年の菊花賞で半兄ビワハヤヒデが出したタイムを、弟が塗り替えた数字だった。同じ母から生まれた2頭が、同じ舞台の記録を続けて刻む。

これで、ナリタブライアンはクラシック3冠馬となった。セントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフに続く、史上5頭目である。

年の瀬の有馬記念

3冠だけでは終わらなかった。

1994年12月25日、中山の有馬記念。相手は、牝馬ながら世代を超えて活躍していたヒシアマゾンだった。ナリタブライアンは、ここでも力の差を見せる。2着ヒシアマゾンを0.5秒差で下し、4歳(現3歳)にして古馬の頂点も制した。ファン投票は17万8000を超える票を集めていた。

中山競馬場(皐月賞・有馬記念の舞台)
中山競馬場(皐月賞・有馬記念の舞台) / 江戸村のとくぞう / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

この年、ナリタブライアンは年度代表馬に選ばれた。皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念。世代の4冠に古馬の頂点を加えて、1年を締めくくった。「シャドーロールの怪物」。この頃には、そう呼ばれるようになっていた。鼻先の白い道具は、弱点を隠す実用品から、強さの象徴に変わりつつあった。

体が、初めて自分を止めた

年が明けても、勢いは続くように見えた。1995年3月12日、阪神大賞典を南井克巳で快勝。上がり3ハロンは、生涯で最も速い数字だった。誰もが、この馬の1年をまた楽しみにしていた。

ところが、その直後だった。1995年4月7日、右股関節炎と診断される。全治2か月。目標にしていた天皇賞・春を、断念せざるをえなくなった。これまで誰にも捕まらなかった馬体を、初めて止めたのは、他の馬ではなく、自分の体だった。

秋に競馬へ戻ってくるが、状態は簡単には元へ戻らなかった。折あしく、主戦の南井克巳も別のレースで落馬して負傷し、手綱は武豊へと託される。天皇賞・秋は12着、ジャパンカップは6着、暮れの有馬記念も4着。かつて2着馬を突き放していた馬が、見せ場をつくれないまま先着を許していく。休養明けの体調が戻り切っていないのは、誰の目にも明らかだった。

強かった馬の失速を、人はすぐには受け入れられない。それでも、この馬はまだ走ることをやめていなかった。

もう1度だけの光

1996年、ナリタブライアンは、もう1度だけまばゆい輝きを見せる。

冒頭のあの阪神大賞典である。3月9日、マヤノトップガンとの2頭だけの叩き合いを制し、阪神大賞典を連覇した。故障前の強さを思い出させる、復活の1戦だった。

続く天皇賞・春(4月21日・京都)では、勝ち馬サクラローレルに差されて2着。頂点までは、あと1歩届かなかった。そして5月19日、この馬は高松宮杯(中京・芝1200m)に出走する。3000メートルの菊花賞を勝った馬が、スプリントに挑む。距離適性から見れば、異例の選択だった。結果は4着。短い距離で、3冠馬は持ち味を出し切れなかった。それでも、可能性を探して走らせた陣営の思いが伝わる1戦でもあった。

6月19日、右前脚に屈腱炎を発症する。脚元の故障は、競走馬にとって重い。復帰の道を探ったが、かなわなかった。1996年10月に引退が決まり、11月20日に競走馬登録を抹消される。21戦12勝。GIを5つ勝った4年間が、静かに幕を閉じた。

兄と弟

ナリタブライアンの物語には、もう1頭、欠かせない馬がいる。半兄のビワハヤヒデである。

同じ母パシフィカスから生まれた2頭は、父が違う半きょうだいだった。兄ビワハヤヒデは1993年に菊花賞を勝ち、その年の年度代表馬に選ばれる。翌1994年には天皇賞・春を制し、古馬の頂点に立った。だが同じ年の秋、天皇賞・秋で故障し、競馬を去る。

兄が舞台を降りたその直後に、弟が3冠の総仕上げに向かっていた。菊花賞で兄のタイムを塗り替え、有馬記念を勝ち、年度代表馬になる。2年続けて、同じ母の子が競馬界の頂点に立った。そして2頭とも、故障によって現役を終えた。強さも、去り方も、どこか重なる兄弟だった。

主戦の南井克巳は、この気性の難しい馬を、抑えの利いた騎乗で勝たせ続けた。オグリキャップの熱狂が落ち着いた1990年代前半、力のある馬が正攻法で頂点を取る競馬が戻ってきた時代。その中心に、鼻先にシャドーロールを付けた黒鹿毛がいた。

血統背景

父ブライアンズタイムは、名馬ロベルトを父に持つ米国産の種牡馬で、日本で多くの活躍馬を送り出した。母パシフィカスは、母父にNorthern Dancerを持つ良血の牝馬で、ビワハヤヒデとナリタブライアンという2頭の年度代表馬を産んだ名繁殖牝馬として知られる。

スピードとスタミナ、そして勝負根性。ナリタブライアンの走りには、父方の芯の強さと、母方の底力の両方がにじんでいた。

受け継がれたもの

ナリタブライアンは引退後、種牡馬となった。しかし種牡馬としての時間はあまりに短く、産駒を数世代しか残せないまま、1998年9月27日、腸の疾患のため、7歳(旧表記で8歳)という若さでその生涯を終えた。大きなレースで名を残す産駒が生まれるには、その種牡馬生活は短すぎた。

残された記録は、21戦12勝、GI5勝、そしてクラシック3冠。数字の並びだけなら、頂点に立った3冠馬の1頭に見える。けれど、この馬が特別だったのは、弱さから始まった物語だったからだ。自分の影を怖がった臆病な馬が、鼻先の小さな道具で前を向き、史上5頭目の3冠まで駆け上がった。

冒頭に置いたシャドーロールは、はじめは弱点を隠すための実用品だった。やがて馬は精神的に成長し、それを着けなくても集中して走れるようになったという。それでも、白い道具はこの馬の顔から外されなかった。血統評論家の大川慶次郎は、その頃にはシャドーロールがトレードマークになっていた、と語っている。弱さを隠す道具は、いつしか強さの記念碑に変わっていた。

まばゆく、そして短かった。ナリタブライアンの絶頂は、長くは続かなかった。だが、鼻先に白いシャドーロールを付けて先頭を走った黒鹿毛の姿は、3冠の速さとともに、今も競馬の記憶の中に残っている。

参考資料・画像クレジット

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